仙台高等裁判所 昭和43年(く)12号 決定 1968年11月28日
少年 H・Y子(昭二四・一・二五生)
主文
原決定を取り消す。
本件を仙台家庭裁判所に差し戻す。
理由
本件抗告の趣意は、附添人大川修造及び同花淵信次連名の「抗告の趣意書」と題する書面のとおりであるから、これを引用する。
一件記録を調査すると、大○弘の司法警察員に対する昭和四二年一一月一〇日付及び同月二一日付各供述調書、○藤○夫及び○橋○太郎の司法警察員に対する各供述調書、司法警察員作成の実況見分調書、司法警察員作成の検証調書、証人水○伝の原審審判廷における供述(計二回)、証人鈴○隆の原審審判廷における供述、司法警察員作成のポリグラフ検査結果報告書、少年の司法警察員及び検察官に対する各弁解録取書、少年の司法警察員に対する昭和四二年一二月四日付、同月五日付及び同月六日付各供述調書ならびに少年の検察官に対する供述調書によれば、原決定がした非行事実の認定はこれを肯認することができるかのようであるけれども、さらに記録を精査し、当審における事実取調の結果をも検討すると、その事実認定にはつぎのような疑問点が見受けられる。
一、放火の方法について
司法警察員作成の実況見分調書、司法警察員作成の検証調書及び当審における証人○山○吾に対する尋問調書によれば、少年方自宅六畳茶の間の北側にある据え付け戸棚及びその上部の萱葺屋根裏の状況は、右実況見分調書添付の「○床放火被疑事件現場略図」の第五図に図示されているとおりであつて、右戸棚を上下二段に仕切る厚さ一〇センチメートルの仕切用の棧(板戸二枚を立てることができるようになつている。)の上部に、これと七〇センチメートルを距てて厚さ六センチメートルの戸棚の天井板があり、さらにその上部にこれと九センチメートルを距てて厚さ一五センチメートルの角材が左右に(つまり東西に)渡されており、同角材の南面(つまり、戸棚に向つて手前の平面)は右戸棚の南面(つまり、戸棚に向つて手前の平面)より約七、八センチメートル手前に突き出していること、本件出火場所は右戸棚天井板の北東隅にある萱屋根裏付近の梁と梁とが組み合わされた部分であると認められたが、その屋根裏の萱は固くて黒く煤けてはいるものの、腐しよくしてボロボロに脱け落ちる状況ではなかつたこと(なお、原決定に「草葺屋根裏」とあるのは「萱葺屋根裏」の誤記と認められる。)右戸棚上部にある前記角材の南面上端から右戸棚の天井板の北東部分までの距離は九〇センチメートルぐらい、右角材の南面上端から右戸棚上部の萱屋根裏側までの距離はもつとも短いところで八〇センチメートルぐらいであつたことがそれぞれ認められる。他面、原審の第四回審判調書、当審における証人○野○い及び同○原茂○子に対する各尋問調書によれば、少年は身長一五一・七センチメートルで、その両手を肩幅に平行に肩の真上に真直ぐに伸ばしたときの少年のかかとの底から中指の先端までの長さは一八六センチメートルであり、また、少年が中学及び小学校第五、六学年に在学中の運動能力は一般の生徒に比しかなり劣るものであつたことが明らかである。
ところで、少年の司法警察員に対する昭和四二年一二月四日付供述調書によれば、少年は戸棚の上段にあつた小箱のマツチを取り出し、戸棚の敷切(前記仕切用の棧を指すものと認められる。)に足をかけて萱屋根裏にのぼり、屋根裏の北側東隅のところに這つて入り、マツチの軸木一本をすつて、直接萱に火をつけたが、燃えあがつたことは確かめなかつたというのであり、また、司法警察員に対する同月五日付供述調書によれば、戸棚左側上段の大きな袋のなかの広告マツチ一個を持ち、戸棚右側上下段の引き板戸を開け、上下段の仕切板を足台にして茶の間北側東角の萱屋根裏にのぼり、マツチ軸一本をすつて点火したうえ、萱屋根の下方に放り込んだような気もする、とにかく燃えあがつたのはたしかであるが、萱に火がついたかどうかは記憶がないというのであり、さらに検察官に対する供述調書によれば、茶の間の戸棚の上にのぼつて、萱葺き屋根の裏のほうに小マツチで火をつけ、すぐに家を出たというのであつて、その供述内容に放火の方法に関する供述として具体性を欠くうらみがあることを否定することができないばかりでなく、前記認定にかかる戸棚およびその上部の萱葺屋根裏の状況及び距離関係ならびに少年の身長及び運動能力をも対照して考察すると、少年が前記戸棚の上にのぼり、マツチ軸一本だけを使用して、その上部東北隅の萱葺屋根裏に点火することができたとするには、なお合理的な疑念を払拭することができない(なお、当審における証人○山○吾も、本件家屋の実況見分を実施した際の経験にもとづいて、右萱葺屋根裏にマツチ軸一本を使用して点火することは困難であるように見受けた旨供述している。)。
二、放火の動機について
少年の司法警察員に対する昭和四二年一二月四日付供述調書によれば、少年は毎日のように注意されたり、叱かられたり、小言を言われたりで面白くなく、当日も子守などのことで母に叱られ、うちにいるのが嫌になり、焼けば何とかしてくれるであろうと考えて犯行に及んだというのであり、また、司法警察員に対する同月五日付供述調書によれば、少年は小言を言われ勝ちであつたところに、(昭和四二年)一一月八日夕刻父と口論し、床に入つても腹が立つて寝つかれず、同月九日の昼食はろくろく喉にとおらない程であつた、同日加○を溜池からあげたとき大○弘に何やら注意されてすつかり頭に来たため、火をつけてひと騒がしてやろうと考えて犯行に及んだというのであり、さらに検察官に対する供述調書によれば、少年は一一月○日夜母を迎えに行くことで父と喧嘩し、翌日子守を頼まれた人から気になるようなことを言われたうえに、母から子守をしていた女の子が池に落ちたことで叱られたことが重なつて、気がむしやくしやしたので、その気持を晴らすために放火したというのであるが(なお、司法警察員に対する同月六日付供述調書によれば少年はどうして火をつけたかと聞かれても、ただ叱られたことで頭が一杯になり、無我夢中であつたというのである。)、少年の司法警察員に対する同年一一月一〇日付供述調書によれば、少年は昭和四二年一一月△日午後一時半ごろ自宅台所で父とともに昼食をとつたというのであり、また、大○弘の司法警察員に対する昭和四二年一一月二一日付供述調書、○橋○太郎の司法警察員に対する供述調書及びH・D子の司法警察員に対する同月二四日付供述調書によれば、少年が子守を託されていた大○加○子が溜池に入つていたことに関して、これを目撃した大○弘、○橋○太郎は少年にさほど注意めいた言辞を述べておらず、また、母であるH・D子も大○加○子が無事であつた旨を確認したのちのことであつたためか、少年に対して大声で叱つたわけでもないことが認められるのであつて、少年に関する鑑別結果通知書等によつて認められる少年の性格や知能を考慮に入れても、少年が前記各供述調書で述べているような放火行為への動機付けが当時少年に存したものとするには、なお躊躇されるものがあることを否定することができない。
三、その他の疑問点について
大○弘の司法警察員に対する昭和四二年一一月二一日付供述調書、高○正の司法警察員に対する同年一二月一日付供述調書、高○美○子及び大○道○の司法警察員に対する各供述調書、H・D子の司法警察員に対する同年一一月二四日付供述調書及び少年の司法警察員に対する同月一〇日供述調書によれば、大○弘が少年の自宅の萱屋根裏が燃えているのに気付いて消火中に、同人は付近にいた少年に対し「火事だから人を呼んで来い」と大声で叫んだところ、少年は「部屋に子供が寝ている」というので、すぐに子供を出したこと、当時少年の自宅座敷には少年が子守を託された○橋○己(当時生後五ヶ月)が寝かせられていたこと、少年は普段から同人の子守や遊び相手をしたことがあつたこと、少年は大○弘から知らされて、直ちに他家に赴いていた母へ自宅が火災である旨を連絡し、他の家族や隣人とともに家財の搬出にあたつていたことがそれぞれ認められるのであつて、これらの事実だけから少年が自宅に放火したものではないとの結論を引き出すことはできないものの、少年が自宅に放火したものであると認定するうえでの消極的資料ともなることを否定することはできない。
なお、司法警察員作成のポリグラフ検査結果報告書は、ポリグラフ検査の性質上それ自体で少年が自宅に放火したことの積極的資料となるものではないことはいうまでもないばかりでなく、証人鈴○隆の原審審判廷における供述によれば、右ポリグラフ検査は捜査官が被検査者である少年にポリグラフ検査における質問事項に関し何ら問いただしていないことを前提としてなされたものであるところ、証人水○伝の原審審判廷における供述によれば、右ポリグラフ検査がなされた当時においては、捜査当局として少年が自宅に放火したのではないかとの嫌疑をもつていたことが明らかであつて、右ポリグラフ検査までの間において放火方法、放火場所等に関し少年に対して予備知識が与えられていなかつたものとは断定し難いのであるから、前記ポリグラフ検査結果回答書をもつて少年が自宅に放火したことの積極的資料とすることは適当でないといわなければならない。また、司法巡査小原忠信作成の「捜査報告」と題する書面によれば、昭和四二年一一月○○日(つまり、少年の自宅の火災当日より七日経過したのち)に少年の頭部左側耳上の頭髪が若干焼け縮れていたのを現認したというのであるけれども、焼け縮れていたとされる頭髪の部位からいつて、少年の司法警察員及び検察官に対する供述にかかる放火方法とかならずしも符合しないものがあるばかりでなく、その現認時期からみて、少年が自宅に放火したことの積極的資料とするにはその証明力がはなはだ薄弱であるというほかはない。
四、これを要するに、原決定が認定したように、少年が自宅に放火したものであるとするについては、前説示のような疑問点があつて、これを肯認するには、なお、合理的な疑いが存するものといわなければならない。してみると、これを肯認した原決定には重大な事実誤認があるものというほかはないから、原決定は取消を免れない。論旨は理由がある。
そこで、少年法第三三条第二項、少年審判規則第五〇条に則り、原決定を取り消し、本件を仙台家庭裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 有路不二男 裁判官 西村法 裁判官 桜井敏雄)